ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

『私の少女』

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昨日、新宿武蔵野館韓国映画『私の少女』を鑑賞。遠征中に読み込んでいた『映画秘宝』6月号の作品紹介ページで拝見し、内容等が気になっていた映画です。非常に見応えのある作品で、足を運んで良かったです。主なあらすじと、映画を見て感じたことは以下のとおりです。

 〇 あらすじ


ヨンナムは、ソウルから海辺の小さな村の警察署の所長に赴任した女性警察官。彼女は村に向かう道中で出会った1人の少女・ドヒが、同じ中学に通う生徒からのいじめ、あるいは、養父・ソンホとその母親から暴力を受ける場面を目撃し、助けの手を差し伸べるとともに、次第に目を配るようになる。寡黙なドヒもまた、自分に優しく接するヨンナムに心を開くようになる。

ある日、ドヒが泣きながらソンナムの家に駆けこんでくる。翌朝、暴力を振るっていた老婆がオートバイで事故死したことが判明する。ヨンナムは、ソンホが酒癖の悪さに加えて母親の死によって精神的に不安定な状態であることを察して、ドヒを自宅で預かることを決意する。共同生活の中で2人の距離は次第に縮まり、互いに笑顔を取り戻していくが、ヨンナムをソウルから1人の女性が訪ねてきたことで、2人を取り巻く状況が大きく変化していく・・・。

 〇 閉鎖性と差別・偏見

本作について、都会から離れた小さな漁村が抱える「閉鎖性」、マイノリティに対する「差別・偏見」の2つの側面を鑑みながら見ていました。コミュニティの中にある「陰」の部分について、本作の舞台である村が特殊であるというアプローチではなく、何処にでもありうるものとして描いており、一層の重みを感じました。

1.ソンホに代表される地域内のピラミッド構造

ムラ社会に代表される小さなコミュニティの社会構造は、地域内で確立されたピラミッドと排他性を中心に語られることが少なくないと思います。私見ですが、本作の中心人物であるパク・ソンホは、そうした構造を象徴するような存在であったと思います。高齢化が進む小さなコミュニティの中では数少ない働き盛りの若者として、ソンホは、ある種の有力者として見られており、ソンホのドヒに対する虐待や違法行為を地元の警察が厳しく接しているようにみえて「なあなあ」の空気感が漂っていたのも、コミュニティの構造が大きく影響していると思いました。

2.閉鎖性が偏見を強化するという仕組み

また、他の人とは少し立場の異なる存在=異物に対する偏見が、小さなコミュニティにある閉鎖性の中で強化されているとも思いました。こうした側面を感じさせる描写が随所に存在し、妙なリアリティを感じていました。ドヒや村の労働力を支える外国人労働者といった、地域内の少数派を保護する立場をとっていたヨンナムもまた、別のマイノリティであることが次第に判明し、その立場が大きく逆転するという展開には息を呑みました。この辺の物語の回し方が巧みで、観客との駆け引きも上手いと感じたりました。

3.似て非なる2人の関係性の描き方とキャストの存在感

上記のような状況と並行して、ヨンナムとドヒの刻々と変化する関係性も印象的でした。心を通わせる中で、親子のような存在になったかと思えば、ヨンナムから見た「もうひとりの自分」のようにも描かれていたりもするし、ヨンナムのドヒに対する視線が一線を超えていた時もあったりするし、良い意味で安定しなかったです。この辺の繊細さは女性監督ならでは?とも思わされました。なお、ドヒの風貌や接し方の変化を通じて、ヨンナムとの距離感を観客に伝える視覚的な見せ方がわかりやすかった。特に髪型の変化は、言葉で語るよりも明快であったと思います。

そんな、ヨンナムを演じたペ・ドゥナさんが漂わせる「美人なんだけど、どこか訳あり」感がヒシヒシ伝わる雰囲気が良かったです。一方、独特の感性を持った少女・ドヒを見事に演じきったキム・セロンさんは、語らずとも伝わる圧倒的な存在感でした。個人的には『花とアリス』の蒼井優さん、あるいは『ワンダフルワールドエンド』で映画デビューを飾った蒼波純さんが頭に浮かんできました。

 以上です。本当に見ごたえのある内容でしたので、文章で自分の考えを書きながら深みにハマっている印象です。それだけに、本作を手掛けた、チョン・ジュリ監督が長編では初監督作品ということにも驚かされました。今後の作品も楽しみですね。コレを機会にして、もっと韓国映画を触れる機会を増やしていきたいです。

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