ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

『kamipro BOM-BA-YE KAMIKAZE』


(場所は西麻布のイエロー、例によって道に迷った)


■ 『PRIDEとは何だったのか?』
kamipro』主催びイベント、ゲストには元DSE社長の榊原信行氏。
DSE体制の最終興業『PRIDE.34』から3ヶ月、未だ開催情報のないPRIDE。


床にリングマット(武士道・34・無差別級GP)が敷かれ、そこに座り込む。
司会は編集長でもあるジャン斉藤、開始前『DEEP』の佐伯繁氏も現れたりする。
トークは『PRIDE』の歴史では欠かせない1997、2003、2006年を中心に進行。


まずは1997年、東海テレビの社員だった榊原氏が二人の人物との出会いの話から。
一人はUインターを率いていた高田延彦、もう一人はあのヒクソン・グレイシーである。
高田さんとの出会いは有名だったが、ヒクソンとも早い段階で接点があったとは意外。


両者の対戦を実現するための企画書は局内で却下されるも、各地に行脚して実現。
約5分の対戦という現実が残り、一度限りのイベントがナンバーを刻むことになる。


次に昨年の話題から2003年、当時についての知識は未だにピンときてない私がいる。
例の『週刊現代』バッシングの元凶となった03年の猪木祭りなどの裏側などについても。
川又氏は恐喝されたと言ったのは赤坂、何故榊原さんは神奈川県警に呼ばれたのか?


これが数年後に大事態になるとは、流石にここら辺は穏やかな話ではなさそうだ。
また興味を惹いたのはミルコ参戦の背景とか、当時の大晦日興業の構想についても。
館長の存在がいかに大きかったか、良い意味でも悪い意味でも榊原氏の師匠とか。


そして06年、前後の話題から榊原さんの奮闘ぶりを振り返る流れになっている。
大晦日までに地上波を復活させるために、大会クオリティを下げない努力を続けた。
フジ撤退で放送権料が無くなり、銀行も金を貸してくれないし、私財投入してきたとか。


嬉しかったのは実現しかけた「シウバVS桜庭」の幻の煽りVの放映、大歓声!
飛び入りゲで煽りV神・佐藤大輔と島田レフェリーが、彼らもやはりプライドの顔。


他にも、ラスベガス大会直前でヒョードルが出場拒否を表明したり(倍額払うことに)
ミルコの移籍を「気持ちよく」と言ったが、心中は激怒していたなど今だから話せること。
最後に現オーナーのロレンゾ氏について、榊原さんも彼に全幅の信頼をおいてるようだ。


■ イベントを終えて…
想定していたテーマトークというより、暴露話って部分が強かったかもなぁ。
榊原さんの言っていた部分から引用すれば『PRIDE』とは「ドラマ」ではないか。


何を背負って男達は戦うのか、そのドラマを見せることがプライドの価値観かも。
今後は榊原さんのいない『PRIDE』だが、その価値観は残していってほしいものだ。