ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

読了・中溝康隆『プロ野球死亡遊戯 そのブログ、狂暴につき』

 

プロ野球死亡遊戯  そのブログ、凶暴につき

プロ野球死亡遊戯 そのブログ、凶暴につき

 

〇 少し懐かしくもある「ブログ書籍化」

TwitterやLINEをはじめ、2010年代はSNSが情報発信・コミュニケーションツールとして広く定着しました。SNS文化が栄華を極める中で、00年代前半のネット文化を牽引したブログの存在感は薄くなってきたと思います。誤字だらけのタレントブログが書籍化されて大ヒット、ブログ炎上記事も過去の出来事になりつつあり、気軽なSNS更新とリアルタイムのtwitterFacebookの炎上が日々のネットニュースを賑わせています。

そんな時代に、書籍化されたのが大人気ブログ『プロ野球死亡遊戯』。著者の中溝氏は、小気味の良いツイートにニヤリとさせられてきましたが、スポーツ報知のジャイアンツ特集号の寄稿文が非常に面白かったのでブログ購読をはじめました。昔はウェブサイトの管理人やブロガーのアカウントをフォローしていましたが、フォロワーさんのリツイートからブロガーを見つける時代なのです。

〇 お茶の間解説者が不在の時代

著者の中溝氏は1979年生まれ。本書掲載の記事の中でも述べておりますが、巨人戦中継が各テレビ局のキラーコンテンツであった80年代から00年代初頭を見てきた世代でもある。

公式戦のほぼ全試合が地上波生中継され、原辰徳にはじまり、松井秀喜高橋由伸に至る多くのメディアスターを輩出してきた時代は異常だったのかもしれない。そうした時代を肌感覚で体験してきた著者だからこそ、現在の日本プロ野球の存在、ジャイアンツの置かれている立場を的確に指摘しています。

かつては、雲のような存在だったMLBは日々ニュースに取り上げられ、多くのチームで多くの日本人プレイヤーがプレイしています。一方、民放各局のゴールデンタイムに名を連ねた全国放送の巨人戦中継は過去のものとなり、放送延長で深夜アニメが潰れる可能性はもとより、ジャイアンツの優勝がかかった試合や日本シリーズの中継も危ぶまれる時代です。だからこそ、球場に足を運び、日々のプレイや空気感を切り取り、独自の解釈を展開する「プロ野球死亡遊戯」のスタイルは、お茶の間解説者不在の現在のプロ野球、そして現在のプロ野球ファンの視点に近いかもしれないですね。

〇「プロ野球死亡遊戯」とは「週刊ファイト」である

プロ野球死亡遊戯の大きな特徴は、ジャイアンツのチームや選手のことを「構図」で語るところだと思います。例えば「プロ野球は永久に終わらない夜ドラである」や「セペダとはまゆゆである」等、プロ野球とは異なる事象や現象の持つ力学や構図と照らし合わせることが、わかりやすく面白い内容になっているのだと思います。

 

殺し 活字プロレスの哲人 井上義啓 追悼本 (Kamipro Books)

殺し 活字プロレスの哲人 井上義啓 追悼本 (Kamipro Books)

 

 こうした文章スタイルは、個人的には少し懐かしくも感じていました。「週刊ファイト」の元編集長でもある故・井上義啓氏(I編集長)、菊地成孔氏の格闘技コラムあるいは彼らのコラムが掲載されていた『kamipro』など、大学の頃にプロレス・格闘技専門誌で読んできた文章スタイルだったからです。特にI文学とまで言われた井上氏の文章は、プロレスメディアが繰り広げてきた活字プロレスを象徴する内容で、「底が丸見えの底なし沼」や「殺し」といった独特の表現と構図を駆使し、プロレス・格闘技ファンに愛されてきました。そのスタイルが野球というフィールドで表現されたのが、プロ野球死亡遊戯ではないかと思います。

 

プロ野球死亡遊戯』とは、2010年代の『週刊ファイト』である。

 

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