ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

『アメリカン・スナイパー』

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■ 「重み」を感じる作品

昨日は、TOHOシネマズ日本橋で『アメリカン・スナイパー』を鑑賞。公開1週目ということで、21時という遅い時間にも関わらず多くの人が足を運んでいました。見終わって、明日が休みという日で良かったと思うくらい「重い」というのが率直な感想です。自分が本作を見て見て感じたことは以下の通りです。

〇 あらすじ


2003年のイラク。アメリカ軍の狙撃兵のクリス・カイルは、ライフルのスコープから女性と子供を見ていた。友軍に視線を向ける2人の動向を監視しているからである。女性が服の中から対戦車手榴弾を取出し、子供に渡す姿を目撃する。狙撃の判断はクリスに委ねられていた。彼はその子供に照準を据え、引き金に手をかけた。これが、彼がネイビー・シールズに入隊して初めての狙撃でもあった。

〇「英雄譚」ではない

本作に登場するクリス・カイルは、イラク戦争で「伝説」と言われた、実在のアメリカ軍の狙撃兵(本作の原作もクリスが書き下ろした著書である)。物語は、クリスの狙撃兵としての初仕事の場面から始まり、回想として彼の幼少期から戦地に赴くまでの姿を経緯を描き、そして4度にわたるイラクとアメリカの行き来について映していく。

<人が「壊れていく」過程を描く>

長距離狙撃兵として後方から友軍の命を救ってきたクリスは、愛国心に駆り立てられて志願し、愛する妻や子供たちが住む米国を敵から守る強い意志をもって戦地に赴き、次第に戦死した仲間たちの思いも背負うようにもなる。

このように書くと、本作の内容が彼の英雄譚にも見えるし、実際にアメリカ国内でも本作に対してイラク戦争を肯定する作品として批判する人も多いようだ。しかし、この作品を見た私には、そのような単純な見方はできませんでした。なぜなら、作品を通じて描かれてきたのが、戦場という極限状況に身を置く一人の兵士(=クリス)の身体と精神が乖離していくさま、そして人として「壊れていく」姿を描き続けたからです。それは、戦争というもののあり方を伝える意味では、言葉で表現する以上の説得力があったと思います。

二元論で語るべきではないのでは?>

しかし、そうだとは言え、本作が極端な反戦映画なのかといえば、違うものだと思います。大切な視点は、クリスが仲間の命を守ることで誰かの命を奪うという駆け引きが日常的に行われていることからもわかるように、何が正しくて、間違っているという二元論で語るのが困難であることが戦場であり、そして戦争なのだということです。

戦争に赴いた兵士たちの「その後」を何度も描いてきたクリント・イーストウッド監督だからこそ、戦争が作り出す光と闇の部分を双方描けたのだと思います。

<感情移入することなくフラットな視点で>

エンディングに至るシーンを見て、改めて本作で描かれた戦場、そしてクリスのように兵士たちが抱えている苦悩が現実のものであることを突きつけられたように思いました。特に我々のような日本人が、クリスに大きく感情移入することはできないと思いますが、私はそれでも良いのではないかと思います。

フラットな視点で見ることで、戦争がもつ様々な側面に目を配ることができるからです。繰り返しになりますが、単純に語れないのが戦争だと思います。映画を見た後に体験する重みや、モヤモヤした感覚がまさにそうした複雑さを表しているのではないかと。

以上です。イーストウッド監督がどのような思いで本作を作ったのかは、しっかりとインタビュー等を読みたいと思いますが、その前の整理として書いてみました。作品を通じて色々と考えることは、やはり大切な作業であると思いますし、自分自身も続けていきたいと思います。 

映画秘宝 2015年 04 月号 [雑誌]

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