ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

『2つ目の窓』


■ 神秘的な空間の中で対峙する「生」と「死」
月曜日に新宿ピカデリーで映画『2つ目の窓』を見てきました。国内外で注目度の高い河瀬直美監督の最新作ではありますが、私個人としては河瀬監督作品を見るのは初めて。映画館で見た予告編の内容に惹かれてみたのですが、心にズシリと来る、大変見応えのある内作品でした。映画を見た感想等は以下の通りです。

◯ あらすじ

舞台は奄美大島。祭りの夜の日、高校生の界人(かいと)は、背中に入れ墨の入った水死体を発見する。界人はその場を全力で走り去るが、そんな界人の姿を同級生の杏子は目撃することになる。杏子は翌日、界人に問いただすものの「見ていない」の一点張り、結局、この時点では何も話してくれなかった。一方、杏子は、病気の母親・イサの死期が迫っていることを界人に話す。島人の心のよりどころであるユタ神(シャーマンのような立場)を務めるイサの死について、肉体を失っても、ぬくもりやつながりが残ることを諭されるものの、杏子は受け入れられていなかった。
その後、界人は同居する母親に対する思いを胸に東京で暮らす別れた父親の元を訪ね、杏子は病院から自宅に戻った母との時間をともに過ごすことになる。そして、島の時間はゆっくりとすぎる中で、杏子は界人に自分の思いを伝えるのだが…。

◯ 言葉で表現しない「伝えたいこと」
本作を見ていて最初に感じたのは、作品中の音楽や台詞が少ないことです。一方、奄美大島の自然の様々な風景が映し出されるとともに、波風の音が随所で劇場に響き渡りました。
作品が持つテーマを伝えるうえで、多くの言葉は不要といいますか、奄美大島の自然が見せる表情が雄弁に語っている、と見ているうちに感じました。無駄な説明や音は省きながらも、情景と自然の音で伝えるというのは非常に良かったですし、しっかりとそれが説明になっていたのだと思います。そうした意味では、奄美大島の自然が映し出す表情を切り取るための撮影が、とても大変だったのではないかと感じたところです。

◯ 目に見えないモノをいかに表現するのか?
もう一つ、上の部分とも被ってくるのですが、自分が見ていて気になったことは、河瀬監督も指摘されていた部分でもあるのですが、生や死といった目に見えないモノをいかに表現するのかという点です。映像は言葉や文章よりも具体的に説明することが可能であるからこそ、映像で映せないものをいかに表現するのか、テーマ性を感じ取るにつれて、その部分を注視するようになりました。
監督は、その点、自らのルーツでもある奄美大島の風雅・文化、それを織り成す人々に流れる独特の時間を最大限に描くことにより、神秘性や生死といった概念を表現していったのだということがわかります。そうした映像を丁寧かつ鮮明に展開することが、ビジュアル化に直結するのだと思います。だからこそ、ありのままの自然を映し出すための撮影に対して「命がけ」という言葉を使ったのではないかと考察します。
余談になりますが、7年前に、全く同じことを押井守監督が『スカイ・クロラ』の公開前、早稲田大学で開催されたシンポジウムで質問を受けていたことを思い出しました*1。その時、押井監督は、時間や生死をビジュアル化するうえで鍵として挙げたのが世界観、同作品の場合は特有の時間を持つというアイルランドという土地であったと述べていました。まさに『2つ目の窓』においても、世界観=奄美大島として当てはめられるのではないかと。

以上です。個人的には、テーマ性を訴えかける作品というより、見ている側に投げかける作品と言えるのではないかと思います。そうした意味では、作品とのキャッチボールが出来ていた感覚がありました。作品としっかりとロックアップして、自らが作品に対して頭をフル回転して考えることができた映画だと思いました。本当に大満足です。
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