ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

読了:笹山敬輔『幻の近代アイドル史 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』

■ アイドル研究、評論本における革新的な一冊
本書の冒頭でも述べられているが、アイドル評論・研究書を読むと、南沙織を起点とした1970年台をアイドルの起源とする説が一般化している。また、80年代のアイドル黄金期を牽引したテレビ番組『スター誕生』に関わった阿久悠氏の考え方も、今般のアイドルの定義付けには、大きく影響を受けている。そのため、アイドルと熱狂するファンの関係性は戦後以降のムーブメントであること、テレビメディアの発展と並行して語られる。しかし、本書の著者の指摘にもあるとおり、AKB48ももいろクローバーZ、あるいはBABYMETALがそうであるように、昨今のアイドルは必ずしもメディアを起点としておらず、カメラの無いライブエンタテイメントの舞台の活況を起点としており、そのことがメディアにクローズアップされ、アイドルとして紹介・認識されていることである。つまり、本書で指摘されるように、現在の認識からすれば、上述の一般的なアイドルの定義から、より広く解釈することが可能であるということである*1

そうした意味では「時は来た」という内容の本であると思う。本書では、娘義太夫大衆演劇・少女歌劇等の戦前・戦中のライブエンタテイメントで活躍し、若者たちを熱狂させた少女たちを取り上げており、今般における「アイドル」的な存在がいたことを紹介している。ある意味では、彼女たちは現在の主流である「会いに行けるアイドル」(ライブアイドル)の先駆けであり、熱狂した若者たちもまたドルヲタの祖先と捉えることはできると考える。

今般のアイドル人気における構図、それと並行して語られる若者の姿勢をもってして、関心のない人間、あるいは上の世代のアイドルファンから「最近の若者は.…」と語ることを耳にすることは少なくないが、本書を読めば“ガチ恋”も“レス厨”も“迷惑ヲタ”も明治時代の現場から存在したことを突きつけられる。アイドルファン心理としては、「100年前から変わらないじゃん!」*2とツッコミを入れたくなる(笑)
ただし、著者の視点は、こうしたファンの存在に対して一概に批判的ではない。むしろ、擁護する姿勢に立っていることも多い。たしかに、ヲタの行いに対しては褒められた行動ではないことは指摘するものの、寄席、大衆演劇あるいは少女歌劇の現場に熱心に通い続けたことで、現場に活況を生み出したのもまたファンの存在であることを指摘している。ムーブメントを牽引するのは、舞台上にいる魅力的な演者や演目であることはもちろんであるが、それを支持する人々の存在が欠かせないことは今も変わらないことである。この点が、当方が本書ならびに著者を最も「推せる」ところである。

平易、というよりはヲタには耳慣れたフレーズが羅列していることもあり、アイドルファンには実に読みやすい構成になっている(章タイトルの羅列を見るだけで「ニヤリ」としてしまう)。現代のアイドル文化を謳歌する人間としては、その祖先を知る意味でも貴重な内容であった。なお、個人的な願望であるが、本書では「会いにいける」存在をベースに捉えていることから、本書におけるテーマ性を理解すると的確な枠組み設定であることを理解しているものの、是非とも映画アイドルについては何かのかたちでまとめていただきたいところである。

*1:もちろん、今般のライブアイドルという存在自体は、90年代以降、徐々に定着してきた分野であり、現在ではアイドルという定義には当てはまらないだろうPerfumeもまた、ライブアイドルとして道を切り開いてきている。

*2:むしろ、個人情報が管理されている現代と比べると、より過激かつ危険な状態であったことも窺い知れるところである。。