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ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

『Wake up,Girls! 七人のアイドル』


■ はじめに:感想を書くに当たっての立ち位置
Wake up,Girls!』(以下『WUG』とする)の感想を書くに当たって、私は次の2点について考え方の整理を行いました。ひとつは、アニメという部分に拘らず「アイドルを取扱った作品」として見るか、あるいは「アニメーション作品として見るか」という基準の置き方です。個人的にアニメでも実写でもアイドルを取扱った作品は好きなジャンルではあるのですが、それが作品について考えるうえで基準がブレることを考慮したからです。
もう一つは、登場人物を見るうえで「リアルタイムのアイドルを取り巻く環境を考慮して」考えていくか、あるいは「作品内の世界という前提で」考えるか、という視点の置き方です。現在、私はアニメ・声優系から距離を置いて、実際のアイドル現場に足を運んでいます。そのため、イメージに限らず、実際の現場の空気感なりアイドルを少なからず体験してます。一方、普段から映画なり作品の粗探しをするという見方は嫌ではあるので、この作品は作品で評価しても良いのではないかとも考えていました。
以上の点を考慮しながら、作品をひと通り鑑賞し、その作品の描き方なり山本監督の作品に対するコメントを考慮したうえで、私は本作を現在のアイドルシーンと擦り合わせを行いながら、アイドルを取扱った作品として感想を述べたいと思います。

■ 総論:アイドルにおける「地域」という要素の導入

まず、私が本作で注目したのは仙台が舞台となっているという点です。アニメーション作品で地域性を押し出すことは、昨今は珍しくないですし、最近は聖地巡礼も含めた地域活性化にも貢献する事例も注目されるようになりました。さらに、昨今のアイドルに対する注目度を反映してか、アイドルを取扱ったアニメ作品もジワリと増えていると思います。例えば、アーケード版の稼働当初は今更感が強かった『The iDOLM@STER』が苦境を乗り切り、加速度を高めて成長していったのはこうした環境の変化が大きいと思います。
また、地域とアイドルの結びつきは2010年台に入って密接になってきたと思います。AKB48のブレイクと前後して数多くのグループアイドルが誕生し、その流れは地域にも波及していきました。現在では、全国各地に地域を拠点に活動を続けるアイドルグループが存在し、地元の地域や時には東京や大阪等の都市部で活動を行っています。本作の舞台でもある仙台は激戦区の1つとして知られ、ドロシーリトルハッピー、残念ながら解散してしまいましたがテクプリ等の名のあるグループが出てきています。


一方、アイドルを取り扱う作品に地域という要素を取り入れることは、過去にあまり見られなかったことだと思います。というのも、アイドルの活動(拠点)は東京というのが一般的な認識であるからだと私は考えています。昨年、NHK朝の連続テレビ小説あまちゃん』が地域とアイドルという要素を組み合わせて作品を展開し、大きな話題を呼びました。一般層から見れば、その組み合わせ自体が非常に新鮮に感じましたし、アイドルファンから見ても朝ドラのような枠組みにご当地アイドルやAKBのようなユニットの存在が大きく取り上げられたことに大きなインパクトを受けたと思います。

そして、本作ではアニメと地域とアイドルが1つの作品の中に入れ込んでいます。上記のように2要素での密接な繋がりこそ見られてきましたが、このように網羅した作品というのは初めてに近い試みではないでしょうか。そうした意味では、過去のアイドルを取扱ったアニメ作品からは一歩踏み込んだ作品であると私は評価しています。
■ 各論:作中における「アイドル」を巡る3つの視点
次に、本作に対する感想について、以下の3つの点を中心に述べていきたいと思います。
○ アイドルと「物語」について
劇場版『WUG』はグループ結成の経緯から初ライブまで、テレビシリーズではその後の活動を描くということで従来のアニメ作品と真逆のアプローチで物語を展開しています。作品を手掛けた山本監督は、パンフレットのインタビュー記事においてテレビシリーズから入ってもいいし、劇場版から入ってもいいというコメントを残しています。実際、双方を見てみると、劇場版の出来事を網羅しておかなければテレビシリーズの事象が把握できないと感じる部分はあると思います。そうした意味では、アニメ作品を見るという視点ではわかりづらい、不親切に感じるという意見が出てもおかしくはないと私は考えます。
他方「アイドルを見る」という視点で考えれば、その意図は理解できる部分があります。例えば、私が継続的にイベントや足を運んでいるアイドルグループを考えてみると、デビューの瞬間や初ライブを見ていたわけではないですし、自分の中で発見してハマった瞬間にファンになりました。つまり、ファンになる動機やタイミングというのは人それぞれで、必ずしもスタートに立ち会う必要はないということを伝えているようにも感じました。気になるから、劇場に足を運ぶ、あるいはその後のソフトでフォローすれば良いという認識なのではないかと思います。
ただし、山本監督が物語を軽視しているわけではないと私は考えています。過去のインタビューにおいても「アイドルは物語だっていうのが僕のテーゼ」*1であると述べており、アイドルにおける物語が重要性は強く理解されていると思っています。劇場版において丹下社長が松田に対して「アイドルに必要なのは物語だ」と語っていましたが、まさにそれは監督自身の言葉なのではないかと感じたほどです。
○ グループの「センター」に対するアプローチについて
アイドルグループを扱った作品自体は珍しくないですが、実はグループ内の中核(=センター)の位置づけに言及した作品と言うのはほとんどなかったのではないかと思います。00年代以前はソロアイドルが中心、グループモノでもアイマスがそうであるように個人にスポットを当てる形式が多く、グループ内の立ち位置からセンター論に言及することはあまりなかったと思います。丹下社長が「物語」とともに「センター」が必要という考え方を述べたのは印象的で、これもまた山本監督の思いが入っていたのではないかと考えることができます。
本作において、最後のワンピースとしてグループに加入したのが島田真夢であった。彼女は本作の世界で国民的アイドルグループとして登場する「i-1クラブ」の1期生でセンターを務めた存在で、諸事情で脱退したという過去をもつという設定となっています。本作は彼女の抜群の歌唱力や経験値を評価する一方で、主人公・松田は目に見えないオーラの部分に惹かれたという描写を描いています。歌やダンスはもちろん、その部分を繰り返し強調したのは良かったのではないかと思います。
○ 「何のためにアイドルになるのか」という考え方について
本作は異なるモチベーションと動機で志望した7人がグループとして活動することになります。アイドルを扱う作品の場合、グループとして活躍することとは別に、個人が「何のために」アイドルを続けるのかを描くかどうかに注目するのですが、その中で先述の島田真夢は「自分のために」という理由を言い切ってグループに入りました。これもまた重要なポイントだと思いました。普段から、私はアイドルになることは入口であっても出口ではないと思っていますし、誰かのためにではなくて自分のために活動してほしいと思っています。
だからこそ、挫折を経て、自分が幸せになるために再度ステージに戻ることを決めた真夢の意志は、作中の展開はともかく自分の胸に響きました。さらに深読みすれば、ラストで披露されたデビュー曲は『タチアガレ』の歌詞内容にもリンクしてきます。正直、グループ名にピンとこなかったのですが、考えを整理していくうちに、劇場版においては、ある種の長い夜からアイドルとして再び「目覚めた」島田真夢のことをイメージしたのかもと思いました。監督がここまで考えているのかは推測の域ですが、アイドルファンとしては期待したいところです。
■ 課題:今後の展開の中で期待したい点について
ここまで割と絶賛方向に書いてて信者っぽい内容になってしまったのですが(笑)、最後に期待値込みで今後の課題について3点ほど書いていきたいと思います。大体これで評価としてはイーブンになると思います。
○ 彼女たちをどのように「目覚め」させるのか?
今後の展開としてはグループとしての過程を進行しながらも、個人にスポットを描くことで、先述の真夢の事例のように彼女たちの個々の「目覚め」を描いていくことが考えられます。この点において、1つは「グループ」としての物語と「個人」としてのスポットのバランスをいかに図っていくかという点に注目していきたいと思います。アイドルが紡ぐ物語性は筋書きのないの物語ではありますが(笑)、作品としては限られた時間と枠組みの中で納めていただきたいですね。劇場版はドキュメンタリーに近いアプローチでしたが、テレビシリーズはよりベーシックな作風であったことからも、そこは定めていただきたいところですね。
もう1つは、「目覚め」の過程に対する物語の強度です。物語全体に強度は求めませんが、この点についてはしっかりと描いてほしいところですね。テレビシリーズ第2話は、一番動機が不透明であった未佑にスポットを当てていて、アイドルファンとして言わんとすることは何となく理解できたのですが、わかりづらいかもしれませんね。物語の柱になっていく部分でもあるので、ココが作品の今後の評価を大きく分けるのではないかと考えています。
○ 「地域」をどのように描くのか?

序盤にも書きましたが、私が注目したのは「仙台」を舞台にしていったという点です。そこで考えるのは、WUGが仙台という地域を代表したグループになるのか、地域を飛び出して東京に乗り込んでいくのか、という点にも注目しています。
実際、ご当地アイドルグループは地元地域のイベント(催し物)やライブ活動をベースにしながら、時折、東京や大阪等の地域外でイベント出演を行うといった活動を行っています。おそらく、WUGはこうした両立というアプローチではなく、先述のどちらかになると思います。いずれにしても、その中で地域を描いていくのかは個人的に注目しています。ご当地アイドルのメンバーは個々の夢や希望と同じくらい、地域を盛り上げたい、多くの人に知ってもらいたいということを熱く語っています。だからこそ、個人的にはWUGにもそうした要素を落とし込んでほしいと期待しています。
○ フィクションがリアルをオーバーラップできるか?
山本監督がインタビューで「虚実混交」*2という言葉を用いて、二次元と三次元の枠組みを取っ払おうと発言しています。というのも、従来からよく言われているアイドルファンとアニメファンといった概念を取り除きたいと考えているようで、敵視ししてる部分はあるが内情は近いものがあると言いたいようにも思えます。その気持ちは何となくわかりますし、志は素晴らしいことだと思います。しかし、これはリスクが高く、下手すれば双方に敵視される可能性があることも考えています。
劇場版は、ここまでの感想がそうであるように、正直言えばアイドルファンの文法で構成され部分が強いと思います。一方でアイドルファンからすれば、テレビシリーズの第2話みたいなエグい営業はありえないわけで反感を買いかねない内容です。中途半端にぶっ飛んだ場面があったり、妙に描写が細かい部分があったりとチグハグさが気になるところです。
リアリティとフィクションの部分のバランスの悪さを上手く持ち直して、今後を進めていただきたいところですね。『あまちゃん』現象がそうであったように、上手くいけばフィクションがリアルを大胆にオーバーラップできるのではないでしょうか。

*1:『ブレイクマックス』2012年3月号「吉田豪インタビュー第113回」86頁

*2:Wake up,Girls! 七人のアイドル』パンフレット19頁