ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

アニメバンプ論:『みなみけ』(第1クール:全13話)

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■ 一区切りしたことで、ここまでの気づきの整理
周囲も落ち着いた頃だろうと、9月になってから思い立ったように見る。
現在、近所のツタヤで『おかわり』も揃ったので少しずつ見ていたりする。
自分がいたサークルの先輩方から諸説聞いてはいる作品であるが、2クール目
に入って制作サイドもチェンジしたことで、一応ここで一区切りしてみようと。


今回、自分が取り上げるのは、あくまでアニメ作品の構造的な部分であり、
『おかわり』を見ている最中ということもあり、内容についてはあまり語らない。


◇ 私の視点(1):冒頭モノローグのもつ意味
よく考えてみると、2クール目になって何故かなくなっているのだが、
この第1クールの番組冒頭、OP前にこのようなモノローグが流れている。

「この物語は南家3姉妹の平凡な日常を淡々と描くものです。
過度な期待はしないでください。」

自分も視聴しだした当初は、このモノローグを流してみていたのだが、
学部時代の先輩との対話の中で「(モノローグを)前提条件として捉える」
という視点を得ることができた。ここから私の一つの見解が生まれてきた。


元来、冒頭のモノローグ*1というのは物語の入口に過ぎない。
多くは語らず、物語の立ち位置とはこうなのだとガイドする役割でしかない。
しかし『みなみけ』のモノローグは、それから一歩進んだ解釈をとることができる。
それこそ「平凡な日常を淡々と描く」という「前提条件」なのである。


この作品の特徴は、物語のテンポの良さでもなく、秀逸なギミック*2でもなく
どこにでもある日常性*3であり、本編を語るならまさに「平凡な日常」である。


この構成、『レッドカーペット』などでの世界のナベアツのネタに近いのではないかと
私は考えている。多くは語らなくてもいいと思うが、渡辺さんの有名なネタといえば

3の倍数と3が付く数字のときだけアホになります

だと思う。この持ちネタを少し冷静になって考えてみると、冒頭で渡辺さんが
このことを言わないで始めたらどうだろう。アホ顔になれば面白いかもしれないが、
よくツボはわからないだろう。つまり、これもまた冒頭のネタ振りは前提条件なのだ。


物語とはキャラやプロセスを通じて、作品を説明していくことが一般であるけども、
みなみけ』やナベアツはプロセスでなく、最初から条件提示の上で作品を見せる。
キャラやギミックとは異なった、アニメでは新しいアプローチ方法ではないだろうか。


◇ 私の視点(2):擬似家族としての南家
もう一つ、私が気になったのは中盤以降で構成される大所帯となった南家の姿だ。
本編では語られることないが、両親がいない南家は三姉妹で生活をしているようだ。
そんな南姉妹の家には中盤以降の物語の中で、千秋の同級生のマコちゃんと冬馬が
毎日のようにやってきて夕食を共にする。私は、擬似家族という印象を持ったのである。


視聴当初、南家の構図は『苺ましまろ』における伊藤家に似ていると感じていた。
しかし、伊藤家には父(=伸恵姉ちゃん)はいても母がいないことに気がついたのだ。


南家において、家事料理をこなす長女が母であるならば、家庭内におけるダメさ加減を
体現する次女は父親として、そして父に嫌悪(もちろん根源的なものではない)を抱き、
優しい母にあこがれる三女は娘であり、その弟と妹が冬馬とマコちゃんとなるのである。
さらに、次女が父と想定するのはもう一つ理由があり、それこそマコちゃん、弟・冬馬
という設定を内部的に確立させたのは紛れもなく香奈であり、まさに生みの親である。


話が進むにつれて、虚実が入り混じった大家族は完成度を増していき、作品の特徴たる
日常性さえ滲ませる違和感の無い空間を作り出した。前述のように、世界観という外枠を
プロセスを放棄したのに対して、南家という内枠をプロセスで拡大させていったという
意味では非常に興味深い構図だったと思う。




最後に、今回の視点や私見というのは、先輩方とダイアローグや他ジャンル
への視点があったからこそ考えることができたものである。馬鹿話に付き合って
もらった先輩方への謝辞を述べるとともに、今後もロジックとセンサーを駆使して、
自分なりの視点というのを追求していきたい。まぁ、とにかく今は『おかわり』だな。


文:Y.Ishii

*1:サンレッドを例に挙げれば『この物語は神奈川県川崎市を舞台にした正義と悪の戦いである』がこれにあたる

*2:「先生と二ノ宮君」は雑多に消費されるテレビ番組の枠のひとつに過ぎず、マコちゃん・冬馬の性別錯誤は後述する「擬似家族」を構成する要素として作用していることから、ギミックとは考えていない

*3:みなみけ』の前に原作者が連載していた『今日の5の2』もまた、小学校での日常性を描こうとするスタンスに徹していることから、原作者の作品のスタンスともいえる