ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

読了:『鉄人 ルー・テーズ自伝』(訳:流智美)

鉄人ルー・テーズ自伝 (講談社+α文庫)


■ 戦前のアメリカプロレス史を知る上でも貴重な文献
日本のプロレス史において、カール・ゴッチルー・テーズは重要人物である。
晩年もジャンボ鶴田選手の代名詞にもなったバックドロップのコーチをされたり、
UWFインターナショナルの顧問として登場するなど、引退後も多くの足跡を残した。
そんな、テーズ氏の生誕、デビュー、王者時代、そして晩年をつづった自伝の翻訳版。


訳者はプロレスマスコミの重鎮・流智美さん。本書は各章ごとに流さんの解説もある。
そのため、私のようなプロレス知識の浅いファンにとっては助かる構成となっている。


本書を読み終えて、私は、日本のファンは知ることのない戦前のアメリカプロレス
の出来事、システムを知ることができるという、資料的価値が非常に高いと感じた。


人物レベルだと若手時代のテーズに多大なる影響を与えた、ジョー・ステッカー*1
エド・ストラングラー・ルイスといった人物は初耳であった。驚くことに彼らが活躍した
1920年代から30年代のプロレスはグラウンド主体のスタイル*2だったということだ。


自分のこれまでの知識だとグラウンドレスリングに定評のあったバーン・ガニア
当時のアメリカマット界で異端であったと思ったのが、ガニア以前の時代はまさに
グラウンドの技術がものを言う時代だったとは。自分の大きな勘違いに気づいた。


また、以前に読了したテリー・ファンクハーリー・レイスの自伝でNWAという組織や
政治的駆け引き*3などが語られるが、テーズ時代のNWAはまた異なる様相である。
前者NWAがWWFAWA、NWAの時代からWWF全米侵攻開始の頃であるが、
テーズが語るそれはNWA発足当時の大NWA時代である。テーズはNWAの象徴の
世界王者として会長であるサム・マソニックと共に全米を行脚し、防衛戦を行った。
これがテーズがオールタイムでも名の残る王者として語られる理由かもしれない。


そして、猪木や蝶野*4の対戦もそうであるように、チャレンジ精神の凄さだ。
最後のNWA王座戴冠時、勢いのある若いレスラー相手に積極的に防衛戦を行った。
また、各プロモーションを転々とし、新たなレスラーに挑み続けるテーズの姿は、
現在の天龍源一郎さんにも通ずる。両者共にレスラーとしての誇りを持ち続けてる。


巻末で訳者の流氏はテーズ最強幻想を熱く語っているが、我々くらいの世代から
だと「いやぁ、流石に」と言う人の方が多いだろう。ただし、ゴッチさんもそうだが
テーズの時代のレスラーはストロングで技術力がなければ生き残れない、文字通りの
ストロングスタイル、他流試合が主流であったことから、その実力は未知数でもある。


流氏ではないが、テーズがノゲイラと戦ったら面白いかも。そんな幻想に駆られる一冊。


ちなみに自分がテーズの試合を見て衝撃だったのは、少し本書でも語られているが、
猪木・坂口組と50代後半になったゴッチ・テーズ組の試合で、テーズが坂口征二氏から
一本を奪ったシーン。60歳間際とは思えぬ、あまりに綺麗なバックドロップだった。。。

*1:またもここで宮戸優光氏の話になるのだが、『kamipro』Vol.125での『超バック・トゥ・レスリング』のコーナーで、彼がステッカーの試合フィルムが動画サイトにあると指摘していたので探してみたら発見。※ 参照:http://jp.youtube.com/watch?v=JQl6mmAtkbE

*2:テーズによるといわゆるショーマン型のレスラーが登場したのは50年代のテレビ放送開始の影響によるもので、彼はそうした曲芸師たちをなぎ倒していったそうだ。また、彼の代名詞であるバックドロップは、その時代から、レスリング技術の裏づけとテレビで映しても魅力的な技としてフィニッシュに用いるようになったそうである

*3:特に世界ヘビー級王座の認定についてはプロモーターの力が70年代から80年代にかけては重要とされてており、両者の自伝の中でも総会でのやり取り等が記述されている。また、門馬忠雄氏は『別冊ゴング』(vol.5)において、レイスやリック・フレアーの長期政権の背景にホームのテリトリーとプロモーターの力を指摘し、特にフレアーとクロケットのコンビの蜜月関係がNWA崩壊を早めたという意見もしている

*4:先日読んだプロレスのトリビア本でも書いてあったが、何とテーズの日本ラストマッチは90年に浜松で戦った蝶野との試合。ちなみに、蝶野の代名詞でもあるSTFはテーズ直伝の技である