ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

川崎フロンターレ・寺田選手と我那覇選手に思うこと

Jリーグ - スポーツナビ
■ 同期、フロンターレ一筋、苦労人
フロンターレファンにとって、昨日は二つのよい知らせが届いた。
一つはキリンカップ寺田周平選手が日本代表デビューを果たしたことだ。
もう一つは、ようやく、我那覇和樹選手の処分無効のCAS裁定が出たことである。


那覇選手と寺田選手は、共にフロンターレが最初の昇格を果たした99年に加入。
寺田選手は新人ながら開幕から出場、途中で怪我で離脱するも、終盤は再びピッチに。
また、我那覇選手も高卒ルーキーながら早くもリーグ終盤戦と天皇杯に出場している。
当時、にわかファンだった私も、新人から活躍していた二人に大きな期待を寄せた。


しかし、サポの方ならご存知だと思うが、彼らのキャリアは順風満帆ではなかった。


寺田選手は00年以降も故障が相次ぎ、なかなか出場機会を得ることができなかった。
那覇選手は00年のC大阪の優勝、01年の山形の昇格をかけた試合でゴールを
決めるなど見せ場はあったが、年間を通じて試合出場と活躍には至らなかった。


那覇・寺田両選手が再び頭角を現してきたのは04年、悲願のJ1復帰を期した年だ。
寺田選手は後に「川崎山脈」と称される川崎のディフェンスのレギュラーに定着した。
一方の我那覇選手は、前年から量産しだしたゴール数をさらに22ゴールまで伸ばす。


川崎のJ1復帰後も彼らはそれぞれFW/DFの中心選手として、チームを支えてきた。


那覇選手は06年にはJ1で日本人得点王、代表でもゴールを決めることができた。
欠場処分を受ける直前の試合も浦和戦ではゴールを決め、これからという時だった。
那覇選手の時間は、あの浦和戦から昨日まで、私は止まっていたようにも思えた。


寺田選手の時間は、何度も止まりながらも少しずつ進め、10年目で初の代表入り。
初召集で初先発、フルタイム出場を果たし、引き続き代表メンバーして予選に望む。
気がつけば川崎では年長者にして最古参のグループ、もちろん川崎に欠かせぬ存在。


31日のナビスコ予選。我那覇選手は先日の怪我からの復帰後、初先発も期待できる。
一日でも早く、等々力のピッチで再び“美ゅらゴール”を見れることを願っている。
アジア三次予選。センターバックでの寺田選手の出場チャンスもまた期待できたり。
川崎山脈」からアジア、世界の山脈へ。寺田選手のさらなる飛躍に胸を躍ります。


自分も、もっともっと選手たちに“青援”を送らないと!頑張れ、寺田・我那覇!!