ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

『ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実』

ぼくの週プロ青春記 90年代プロレス全盛期と、その真実


■ 一人のプロレス記者の燃えたぎるような情熱がここにある
著者は、ターザン山本!編集長時代の週プロで記者として活躍した小島和宏氏。
自分は、最初にタイトルを見て「なんで“青春”記?」と疑問に思ったものだが、著者が
本書の中で駆け抜けた約7年の軌跡を見て、その意味が何となくわかった気がする。


小島氏は、大仁田厚率いるFMWと冬の時代から最後の大ムーブを起こした
女子プロの躍進に記者として、プロレスの内部にも関わることで貢献することになる。
充実した記者生活に対し、休日無し、安月給、婚約破棄等の悲惨な私生活も垣間見る。
学生時代から働き始め、後ろを省みずに全力疾走した彼の記録は青春そのものだ。


本書を読んでいると、週プロやファンの現在とは異なる熱というのが伝わってきた。
この時代にプロレスファンになっていったら、全然違う物の見方をしているかもな。
本書は、そんな熱い時代の記憶が記されている。この時代に胸を躍らせた人は是非。


■ 私見:活字プロレスの遺伝子はネットにあるのではないか
週刊プロレス』というプロレス専門誌が、恐ろしいほどの売り上げを誇った90年代。
現在のようにネットが普及する以前の話とはいえ、本社の赤字を補っていたくらいだ。


『週プロ』の快進撃の原動力は記者の恐るべき取材力、思考力、厳しい視点だと思う。
何となく、山本編集長の力が大きいと思われがちだが、正確には彼を取り巻いていた
編集部のメンバーの力が大きかったというのだが、本書を通じて改めて感じた*1


前座試合でも素晴らしければ大きく取り上げられ、インディでも面白ければ表紙になる。
『週プロ』で取り上げれば選手の名前は売れ、興業のチケットの売り上げも上がった。
著者が担当した女子プロとインディでは、この良循環によって大ブームを引き起こした。
90年代を盛り上げたインディや対抗戦ブーム、全ての震源地が『週プロ』だったのだ。


しかし、ターザン退陣以降『週プロ』は持ち味の独自性を次第に消されていったという。
かつての『週プロ』でファンがプロレス論を徹底的に考えるようなことは少なくなった。
もちろん、自分は今でも立ち読みないしは購入するが、物足りなさを感じたりもする。


「活字プロレス」は死んだかもれしれない。しかし、遺伝子はネットにはあるのでは?
例えばプロレス専門ブログはブロガーが観戦を通じ、思考力を駆使して、論説を展開。
読み応えのある記事もあれば、ウンザリする記事もあるが、私は思考材料にもしている。
「ブログプロレス」ではないが、これは「活字プロレス」を親とした子供ではないか?


■ 余談:私とブログとスポーツ記者
私がプロレス雑誌を読み出したのは00年代以降、GK金沢氏率いるゴング派だった。
そう考えると、胸躍らせる対象と外れるのだが、記者への思いで胸がいっぱいになる。
本格的に野球を見だしたのと山際淳司と『Number』に出会ったのが同時期だった。


毎日のように野球を見ては思考して、自文章を書いたり、週べにも投稿したり*2
今でもこうしてブログを書き続けているのは、記者への思いが大きいのかもしれない。

*1:これは『生前追悼 ターザン山本! (kamipro books)』に多くの証言が書かれている

*2:ちなみに、アニラジハガキ職人時代に使っていたペンネームはこの頃から使い出した