ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を見てきた

■ 2015年に三十路突入の「セカンドインパクト世代」な当方
今回の劇場版「序」は大方の予想通り、『決戦、第3新東京市』までのエピソードを。
とりあえずAパート(−4話)とBパート(5・6話)*1に分けて、感想を述べたいと思う。


シンジが『ネルフ』という組織に組み込まれる過程がAパートで一段落する。
彼はレゾンデートルが「エヴァに乗ること」であるというのは一応、理解している。
同時に、大人達の都合でエヴァに乗って戦わなければならないことに嫌悪感を抱く。


「何故、自分が」「乗っただけで殴られなければならない」という疑問もある。
結果的にそうした感情から命令無視、逃避行動を実践するも答えも見つけられず。
ここら辺の流れの変更点、特にミサトとの接し方の変化は非常に良かったと思う。


彼のエヴァに乗ることへの存在意義と嫌悪感によるジレンマを感じつつ、Bパート。
何と言っても今作最大の見せ場である『ヤシマ作戦』が、より劇的に演出されていた。
当時のスタッフが「やり残していたもの」を完遂するための情熱や作り込みを感じた。


シンジは、ネルフ全体のシト殲滅にかける覚悟というのをミサトに伝えられて出撃する。
ジレンマを抱えつつ、意思をもってシトへ立ち向かったシンジのひとつの成長を感じた。
庵野*2の「わずかでも、前に進もうとする意思の物語」に昇華したのかもしれない。


■ 2007年の新世紀エヴァンゲリオン
リアルタイム時は意志薄弱な自分*3は「まぁ、自分でも逃げたくなる」と頷いていた。
でも、大人になると、(自分でも)無理難題を押しつけられることは少なくはないし。
いわゆる「大人の事情」に巻き込まれているシンジの姿に立ち位置を変えて同情した。


重要な発表を任せられた時は「なんで、自分なんだ」と嫌悪感を抱くこともある。
「それでも何とかしなきゃ」という気持ちがあって、そして少しでも前に進もうとする。
碇シンジに対する心境の変化から、私も「少し大人になったのかなぁ」と感じたりした。


バカみたいに思い入れのある作品だと、妄想も変態の域に達しますね。

*1:アイキャッチらしき画像挿入、またパンフ表記にもあり

*2:参照URL:http://eva.yahoo.co.jp/gekijou/big_message.html

*3:当時の弁論大会で「意志の弱さとは」なんて書いてたり、情けない