ぶらり人生途中下車の旅

ボンクラライフ

自分のターニングポイント いろいろ

ガムさんのほうでいろいろ語っていたのを見ていたら
「そういえば自分は、いつごろだろう?」と考えてみることにした。


アニメに関しては3歳の頃までに親に大量のディズニー+ジブリ作品を投下された。
すでにこの頃からルーティンで見る習慣はあった、お気に入りは『ダンボ』。
劇場で最初に見た映画は『となりのトトロ』、次が『眠れる森の美女』という順番。
母親談、当時4歳くらいの私はラストシーンで「めいちゃーん」と絶叫したとか…。
5歳頃にテレビで見た『トランスフォーマー 超人マスターフォース』にハマる。
ちなみに、初めての字幕映画も日米合作の『トランスフォーマー THE MOVIE』だった。
私は『ガンダム』前に『トランスフォーマー』があるせいか、可変MSは未だに好き。


毎週、エルドランシリーズ勇者シリーズを欠かさず見る普通の小学生になった。
クラスで『姫ちゃんのリボン』が流行っていたので、これは一生懸命見ていた。
セーラームーン』や『レイアース』もそれなりかな、当時は隠れて見てたよ。
この頃、NHKの夏休み特別編成で初めてOVA作品を見たと思う。
たしか『ここはグリーンウッド』と『ぼくの地球を守って』の「花ゆめ」系アニメ。
あと『ダーティペアFLASH』あたり、これで國府田マリ子さんの名前を覚えた。


テレ東アニメに本格興味を抱いたのは『ブルーシード』を見だしたあたりだと思う。
それで『ふしぎ遊戯』やら『スレイヤーズ』で、気が付くと『エヴァ』への流れに。
エヴァ』はリアルで見ていたんですが、親と見るのが恥ずかしくなった記憶が…。
ガンダムは『V』こそは当時イマイチだったが、『G』からはかなり見た。
ロボアニメがこの頃は本当に多いんと思うんですよ、ゆうすけ君が好きなのも多そう。


正直、中学生になった97年あたりから剣道部と塾通いで忙しくなったんですよ。
夕方枠で見れるアニメはかなり減ったと思います、後から見たの多いし。
深夜枠への進出が目立った、『はいぱ〜ぽりす』で宮村優子さんの名前を覚えたし。
ブルージェンダー』とか『ミトの大冒険』に『頭文字D』あたりかな。


それで、ギアで言えば2速から4速へとシフトチェンジしたのが高校時代。
入学直後に、念願のレンタルビデオショップが地元で営業開始したのが大きかった。
念願だった『ガンダム』シリーズのOVAを見れたのは、当時は感動物でした。
1年生の頃から剣道部と予備校に通い詰めだったんですけど、そこから徐々に…。
予備校の近くに「ゲーマーズ」があったのは運のツキ、欲望の塊へと誘われる。
「部活→ゲマ→予備校→帰宅」というのがデフォになってきた、バカみたい。
オタCDが簡単に手に入ったのに当時は感激したんですよ、本当に嬉しかった。



それで、声ヲタ属性なんですが、私も林原さんがスタートですね。
ラジオも聞いてたし、出てるアニメはチェックしていたしね。
高校で文芸部の友達Kが「声優って誰好き?」と聞かれた時に歯車が回り出した。
熱心な飯塚ファンKに説得されて、私は彼のお薦めの飯塚雅弓のアルバムを借りた。
そのアルバムで好きになり、書店で表紙グラビアを飾った「声優グランプリ」初購入。
それから丁度いいタイミングで、当時のベストアルバム『Berry Best』が発売された。
発売日に即購入、ここで完全に飯塚ファンとしての自分が確立されたような気がする。
高2の夏に『Strawberry Story2001 〜ひまわりのように〜』でライブ初参加した。
そこから約4年間で7公演くらい参加、現在に至るわけですよ。


アニラジも昔はヤバイくらい聞いてた、録音のカセットテープが当時を物語る。
特にヤバイのは『CLUB db』、毎週ハガキ投稿してたしテープは1年分以上あるし…。
やっぱり我々が桑島無しには語れないのは、この番組もあったからだろうね。
終わる前年の放送を聞き直して見ると神山先生とのトークが面白くて仕方ない。
最近のアニラジはトーク中心の番組構成が少ないのは残念、離れたのもそのせいかも。


まぁ、つまりは No Anime No Life ってことですかね。